思い出


ある日学校へ登校すると、クラスの入り口で、ラムは目眩におそわれた。

扉につかまって呼吸を整える。

自分の席につくと、カバンから教科書を出して1時限目の準備を始めた。

1時限目は国語。教科書を開いて…また目眩。

グラグラとする視界、教科書の文字がボケたりはっきり見えたりを繰り返す。

「先生…」 たまりかねたラムが手を挙げた。

「ちょっと保健室へ…」

あたるは頬杖をついたまま、ラムを見送った。

ラムを保健室に送ったのは、紳士な面堂だった。

保健室のベッドに横になる。

「ただの疲れであろう。少し休んでゆけ」

サクラがベッドの脇で体温計を確認する。特に風邪というわけでもなかった。

「うん…今朝から目眩がするっちゃ」

「一度検査してみたらどうじゃ?」

「うん…」

ラムはそのまま放課後まで目を覚まさなかった。


日も傾いた頃に、むっくりと起き上がったラム。

机で日誌をつけているサクラに礼を言うと、カバンを持って帰路についた。

ぼんやりしたまま、諸星家へ向かって帰る。そのつもりで歩いていた。

気がつくと、見覚えのない場所。閑静な住宅街で道に迷ったラム。

元来たはずの道を戻り始める。が、まだ見覚えのある場所に戻れない。

「今までどうやってたっけ…確か空を飛んで…」

確かに空を飛べる能力があった。あったはずなのに、どうやって飛んでいたのか思い出せない。

やがて学校の前に戻ってきてしまった。すっかり日が落ちている。

街頭の灯りに虫が集まっている。

夏の始めごろとはいえ、この時刻に半袖は、少し肌寒かった。

校門の前で立ち尽くすラム。どちらへ行けばいいのか…空を飛べばすぐに帰れたはずなのに。

するとラムの肩を「ポンッ」と軽く叩く者がいた。振り返ると、あたるだった。

「あんまり遅いから、迎えに来てやったぞ」

(相変わらず恩着せがましいセリフ…ダーリンらしいっちゃね)

「どうした?何笑ってんだ?人がせっかく心配して…来てやったというのに」

「うん、ありがと、ダーリン…嬉しいっちゃ」

あたるの腕に腕を絡めると、あたたかい気持ちに満たされ、今日の不安はどこかへ押しやられた。


次の日の朝。ラムは制服の前で、ぼーっと立ち尽くしていた。

「どうしたんだ?遅刻するぞ、ラム」

「これ…ウチ、着てたっけ?着てどこへ行ってたっけ?」

「学校!高校!…お前、寝起きから変だぞ…熱でもあるんじゃないか?」

「違う…そうじゃなくって…あっ…」

また目眩を起こして、ラムはへなへな、ぺたん、と座り込んでしまった。

「今日は休んでたほうがいいぞ。それじゃな…」

あたるは少し心配そうに、部屋から出て行った。

(どうしたんだろう…昨日…?確か、目眩がしてて、それから…)

頭を両手で押さえて左右に振るラム。自分はどうしてしまったんだろう?
記憶が…色んなものが頭から消えていってる…。

「ラムちゃん、どうしてん?具合悪いんか?」

「テン…ちゃん?」

「顔色がおかしいで、ラムちゃん」

テンはラムの父親に連絡をとった。すぐさま母星の医療機関へ入ることになったラム。


「脳や脳波に異常は無いようですが」

「無いようですが…やない!無いっ、と断言せんかいっ!」

父親は医者に食ってかかった。

(異常が無いなら、あの変わりようはどういうことや)

「しばらく入院してもろて、様子見るしかありませんなぁ…」

「…そやな…ラム、地球で苦労してるんと違うやろか…」

そうしてラムは、鬼星の最新設備が整った病院へ、しばらく入院することになった。

個室のベッドで眠るラム。その寝顔は安らかだった。


一方地球では。テンに報告を受けたあたるは、想像していなかった状態に驚いた。

「入院、っていつまでかわかってんのか、ジャリテン?」

「アホ、原因もまだわかってないのに、いつ退院出来るなんてワイにわかるかい、ボケ」

「アホとかボケは余計じゃ!とにかく、記憶が無くなってきてるって…原因もわからないのに?」

「そや。脳や脳波には異常は見られんそうや。なのに…ラムひゃん…ワイのこと…」

テンはベソをかきだした。

「ワイを見てすぐに思い出せんようになってきててん…グスッ…」

「その原因は…」

声はサクラだった。

「この破魔串が騒いでおる!…諸星、おぬし、何か身に覚えは無いか?」

「サクラさぁん♪…身に覚えって…何の?」

「人間以外の者に親切にした覚えじゃ」

「やだなぁ、オレはいつだって女性には親切ですよぉ、わかってるくせにぃ」

「人間以外のじゃっ!」

「そういえば…3日前くらいだったかなぁ…こんなことがあってさ」

ナンパした女の子3人にカラオケをおごることになって、帰りがかなり遅くなった時だった。

人通りの無い道で、一人の女の子と会った。ナンパ心もあったがこんな深夜だし危ないから送りましょうか、と言った。

最初驚いたその娘は、手に持っていた荷物を取り落とした。

少し逃げるように離れたが、あたるはその娘が落とした荷物を、小さな物まで全部壊れていないか確認してカバンに戻した。

「はい、これ。女の子の一人歩きは危ないから、何かあったら大声で叫びなよ。それじゃ」

荷物を手渡して、女の子の数十メートル先を、ゆっくり歩いて帰路についたのだった。

「…うむ、よくわかった。その娘じゃ…どうやら現世の者ではなかったようじゃな」

「で、それとラムのことと、どんな関係が?」

「今から呼び出して訳を聞いてみるから、一緒に参るがよい」


サクラが娘から理由を聞くのは簡単だった。それは次のようなことだった。

あたると出会った場所で、娘はある事件に巻き込まれ命を落とした。

それ以来、あそこを行ったり来たりしているが、男性を見ると怖いし、たまに自分が見える女性に会っても、反対に怖がられて逃げられてしまう。

それが、どういうわけか、あたるにはあまり怖い波長を感じなかったそうだ。

正直、バッタリ出会った時は怖かったし、反対に逃げられるんじゃないかと思ったが、逆に優しくしてくれた。

そして、こんな人の傍にいられたらいいな…と思ったそうだ。

「おぬしは本当に、地球人の生身の娘以外には、本っ当っにっ!よくモテるのじゃな…」

「で、それが原因?意味がよくわからないんですがぁ…」

「その娘が言うには、おぬしの恋人…ラムの記憶は、おぬしとの楽しい思い出で一杯じゃ。それが邪魔だった、と言うのじゃ」

「それで?」

「ラムの記憶は、その娘が、自身の内に吸収し、取り込んでおる、と」

「それから?」

「えーい、まどろっこしいわ!少しは頭を使え!娘がラムの記憶を取り込み、自分がラムに成り代わろう、と思ってるそうじゃ!わかったかっ!」

「…成り代わる…?…ってことは!?ラムは?」

「そろそろ、ラムの記憶の残りが僅かになってきておる…最後の大事な記憶は…おぬしとの思い出じゃ」

「そんなっ…どうしたら元に?その女の子から記憶を取り戻すには!?」

「まず私が説いて聞かせてみたが…説得には応じてくれそうもない。とりあえず、別の場所で呼び出してみる。諸星、おぬしが最後の頼みじゃ」


諸星家の庭で、サクラが何やら祈祷を始めた。木々や電線がざわつき、一陣の風が通り過ぎると、そこにはあの夜に会った娘が立っていた。

「…ダーリン、って呼んでもいいですか?」

現れたと同時に娘があたるに言ったのは、それだった。

「えっ、いやぁ…そりゃ困ったなぁ…って、言ってる場合じゃ無い。あのさ、どうしたら、ラムの記憶を戻してくれるのかな?」

「あの人と貴方の思い出、それはもうキラキラしてて楽しそうで…うらやましくって。アタシも欲しいなぁ、って。楽しい思い出…」

「君には君だけの、大事な思い出とか、あるだろう?」

「…無いの。いつも独りだったから。優しくしてくれて…すごく、嬉しかった」

そこにサクラが口を差し挟んだ。

「娘、おぬし、成仏する気は無いか?何か望みは?」

「アタシの望み?…楽しい思い出。それだけ」

「でもそれは…それは、ラムの…ラムだけが持ってていい思い出だ!オレとの思い出も!全部!」

「あの人…貴方にギュッ、って抱きついたり…それを思い出すと、すっごくここがね…あたたかくなるの」

娘は、左胸を指差した。

「でも君の記憶じゃないんだよ!お願いだから…オレが出来ることなら何でも言うこと聞くから…だから…」

「そんなにあの人が、大事?」

「…ああ、だから…」

「そう…やっぱりアタシ、独りなんだ…」

「そんなこと無いって!」

あたるは、実体の無いその娘に近づくと、手応えが無い半透明の体を、両腕で包むようにした。

娘の体は前面半分が、あたるに重なっている。妙な抱擁の様子だったが、あたるにとっては、これしか出来無い、と思っての行動だった。

「あたたかいね…心臓って、こんな風に鳴るんだね。心臓の音…何だか、すっごく懐かしい感じ…」

娘は目を閉じて、あたるの心臓の音に集中していた。何かを思い出そうとしているようだった。

「ああ…そういえば…聞こえてた…お母さんのお腹の中にいた時も…眠れない夜にギュッ、ってしてもらった時も…」

「うん…」

「お母さんとかね…家族の誰かがギュッ、ってしてくれた時の、心臓の音…あたたかかったの」

「うん、うん…」

「アタシの心臓は、もう鳴らないけど…ドキドキ鳴ってる人の、思い出、取っちゃ、悪いよね」

「うんうん、うん」

「思い出無くなっちゃったら、ドキドキ、出来なくなるものね…アタシみたいにカラッポになっちゃうものね…」

「…君は、カラッポじゃないよ…ほら、心臓の音でたくさん、思い出したろう?」

「ウン…」

「それで、心臓のあった所が、一杯になったろう?」

「ウン…」

「あたたかいだろう?心臓のあった所に、自分だけの思い出が一杯詰まってる感じって」

「ウン…もう、一杯みたい。あの人の思い出、入りきらないって、出てきちゃった」

「…ラムの?」

「はい、これ。有難う…」

娘の体は次第に薄くなって、丸く包み込んでいたあたるの腕の内側から、すーっと、消えていった。

そして、娘が消えた後、あたるの足元に、光の玉が転がっていた。

拾い上げると、あたたかい。微かに、トクントクン、と心臓に似た鼓動がする。

「それを急ぎ、ラムの元に持っていくのじゃ。時間が経つと、戻せなくなるぞ」

「わかった、サクラさん。有難う!」


鬼星の病院の個室。ラムは時々目覚めるものの、その度に生気を失っていった。

「…ダーリン…」

小さく呟く。それが誰のことなのか、覚えていた。微かに、覚えていた。しかしそれも、明滅を繰り返し、次第に消えかかっていた。

そこへ飛び込んで来たのは、他でもない、あたるだった。

顔を向けるラム。しかし表情の変化は、無い。

「ラムっ!お前の記憶が戻るぞ!これだ!早くしないと!」

ラムは呆けたようにあたるの手にある光る玉を見つめた。

「これを…どうしたらいいんだ?」

肝心なことを忘れていた。サクラさんなら、あの女の子なら、知っていたかもしれないのに。

光る玉の鼓動が、少し弱くなった気がした。地球からそんなに時間は経ってないはずだ。まだ間に合うはずだ。

あたるがそれをラムの頭の上や胸の上などに乗せてみたが、一向に変化が無かった。

「どうすりゃいいんだよぅっ!」

半ば投げやりになりかけていた。光の玉をぐっと抱きしめるあたる。どうすりゃいいんだよ…。

するとそれは、あたるの胸に、すーっと吸い込まれ、溶け込んでいった。全身に何かあたたかいものが満ちてくる。

心臓の鼓動がもうひとつ加わった。頭の中で、トクントクン…と響く音。

あたるの鼻腔が広がり、喉の奥からは、呼吸とは別に、風のような流れる空気が漏れてきた。

「オレの中に…ラムがいるんだ…ラム…」

寝たきりのラムを、肩を抱いて起こし、ベッドから立ち上がらせる。彼女は力なくよろめいて、あたるの腕の中にしなだれかかった。

ラムの腰と肩をしっかりと抱きしめ、顔を向き合わせ、あたるは自分から唇を重ねた。

ラムの唇が開く。ふたりの口が深く組み重なり、舌同士を絡み合わせ、ディープなキスを交わした。

あたるの中にあるラムの記憶が、口からラムの中へと流れ込む。

喉を鳴らして、ラムはあたるの口から流れ込むもの全てを飲み込む。

「んっ…んんっ…」

その深くて熱いキスはどれくらい続いただろうか。

やがて口を離したふたり。離れた唇同士が、唾液の糸を引き、それが顎にも零れた。

お互いに少しぐったりしていたが、ラムの頬には血色が戻っていた。

「ああ…ダーリン、ダーリン…全部思い出せたっちゃ…思い出した…ダーリンのこと忘れなくて良かった…」

あたるの肩に顔をうずめ、愛しい人の首筋に、耳元に、幾度もキスをするラム。

「く、くすぐったいから…やめろって…」

お返しにと、あたるもラムの耳たぶを軽く噛み、うなじに唇を這わせた。

「ああっ…ダーリン、ダーリン…」


「ふたりとも、いつまでやってる気や!大人のくせに恥ずかしい思わんのかいっ!」

ふたりに気を利かせたつもりで部屋の隅にうずくまっていたテンだったが…あまりの激しいイチャツキに、ついにキレた。

ゴォォォーーーーーーーーーーーッッッ!!!

あたるの背から炎を浴びせるテン。ラムは無事だったが、あたるは背面全部、黒コゲになった。

「このっ!くそジャリテンッッ!!せっかくの…」

「せっかくの、なんや?アホのあたるには、やっぱりラムちゃんはもったいなさ過ぎるでー」

「うるさいうるさいっ!こんのぉ、マセガキがぁぁぁぁーーーーー!!」

「ラムちゃーん!アホがぁ、あたるのアホがぁ!」

「もうっ、ダーリンも大人気ないから、やめるっちゃ!」

「むぅっ…」

「そんなにむくれないで、ね、ダーリン…今夜、ゆっくりと…ね?」

「…わかったよ…」

お互い耳元で囁きあったので、テンには聞こえなかった。

無事退院したラム。あたるとふたりで地球に戻ってきたのはその日の夜だった。


「さっきしてくれたみたいに…ダーリンから…ね?」

「お前、寝巻きの下、ブラ着けてなかったろ?…あのさ…モロ、だったわけよ…やぁらかくて、ツンツンと…」

「もうっ!ムードもへったくれも無いっちゃ!ダーリンのエッチッ!」

「エッチなことは…これからだ、っちゅーの…」

「もうっ、バカッ…」

こうして何事もなかったように、地球の平和な夜は、更けてゆくのであった…。

--- E N D ---

あとがき


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